政権交代の謎 2012 3 18
日本は、数年前に政権交代がありましたが、
私は、どうも「腑に落ちない」と感じていたのです。
「誰かが裏で絵を描いているのではないか(シナリオを作っている)」
長らく政権与党だった自民党は、
今まで「利権政治」や「業界との癒着」など、
いろいろと非難されていました。
しかし、自民党には、
官僚に負けないぐらいの専門知識を持った議員が多かったのです。
そういう議員に対して、やりにくさを感じていた官僚も多かったはずです。
官僚は、2年程度で異動しますが、
専門知識を持った議員は、「落選しなければ」、何十年も続けられます。
これでは、「官僚主導」の政治にもっていくには、困難な状況にあったと思います。
一方、民主党は、一部例外はありますが、
クリーンな政治家が多い反面、経験不足や知識不足の議員が多かったと思います。
ここで政権交代が起きるような選挙になると、どうなるか。
専門知識を持った議員は大量に落選し、
経験不足や知識不足の新人議員が大量に当選することになります。
これでは、「脱官僚」を掲げて政権を取った民主党政権下において、
皮肉なことに、むしろ、逆に「官僚依存」が進みます。
政治も行政も複雑化・高度化した現代においては、
政治家がちょっと勉強したぐらいでは、とうてい太刀打ちできないのです。
これは、学生の一夜漬け勉強のようなものです。
結局、政権交代で得をしたのは、官僚か。
専門知識を持った議員を育てるには、少なくとも10年はかかります。
しかし、現状では、選挙のたびに、議員が大きく入れ替わり、
経験不足や知識不足の新人議員が大量に当選するという状態なので、
官僚にとっては、まさに「我が世の春」かもしれません。
政権交代の果実とは、官僚主導の確立だったかもしれません。
さて、財務省から見れば、今の民主党は、
国税庁と同じ外局扱いのようなものでしょう。
「それを言うならば、今のメディアも、財務省から見れば、
外郭団体のようなものだろう」と指摘する人もいるかもしれません。
財務省と民主党 2012 1 29
書名 財務省解体論
著者 福岡 政行 角川書店
これは、福岡氏の「嘆き節」の本でしょう。
「財務省解体論」というタイトルですが、
中身は、今の民主党に対する「嘆き」が随所に出てきます。
この本は、政治主導や脱官僚を掲げて政権を取った民主党が、
いかにして、財務省のパペット、
言い換えれば、財務省の奴隷へと転落していく様子を、
赤裸々に描いています。
いくつか引用してみましょう。
以下は、引用です。
「民主党政権は、実に、ふがいない。
財務省のシナリオでしか動くことができない。
とても国民・市民のための民主党政権と言えるものではない。
いわゆる『財務省のパペット政権』である」
「民主党政権のコントロールタワーは財務省」
「(著者が民主党議員に檄を飛ばしても)
『そうはいってもコントロールタワーは財務省ですから』と
答える民主党議員もいるほどだ。
この言葉は、つまり、内閣よりも財務省の力の方が強く、
財務省が政治を動かすようになっていることを意味する。
それほど重大な言葉を、民主党の議員が、
軽々しくも弱々しく口にするようになっているである」
「野田政権樹立に向けて財務省が動いていた七月、
霞が関の住民の一人(官僚)から、
ここでいうパペットとは、そういう意味ではないと聞かされた。
『福岡先生、パペットは操り人形のことではありません。
財務省に言わせれば、パーのペットということですから』
あまりにも痛烈な言葉に愕然とさせられた」
「民主党は、『政治主導』と声高に叫び、
国家戦略室なるものを設置したが、結局は何もできないまま、
霞が関の軍門に降ったのが現実である」
「野田内閣は、『不適材不適所』も、はなはだしい人材配置になっているが、
霞が関からすれば、それは望みどおりのことだったはずであり、
不適材不適所の大臣を自分たちの言いなりに手なずけるのが最善である」
(「不適材不適所」は、適材適所の反対の意味で、著者の造語だと思います)
以上、引用です。
財務省から見れば、今の民主党は、
国税庁と同じ外局扱いのようなものでしょう。
「それを言うならば、今のメディアも、財務省から見れば、
外郭団体のようなものだろう」と指摘されるかもしれません。
新聞と経営 2011 7 30
『三橋貴明の<ウラ読み>経済レポート』には、
このような記事がありました(2011年7月30日当時)。
(以下、引用)
先日、日本新聞協会加盟各紙と、
与謝野経済財政政策担当大臣との間で、
「新聞社側は、紙面で復興増税を推進する」
「財務省側は、消費税増税しても、新聞に軽減税率を適用する」
という取引が行われました。
この取引の際には、
日本の大手紙の各論説委員が参加していたのですが、
その一人からのリークです。
(以上、引用)
三橋氏は、憤慨している様子ですが、
今の時代、経営方針と報道方針をリンクさせないと、
経営が成り立たないと思います。
新聞社といえども、経営が苦しい。
そのような状況では、「長いものには巻かれろ」という方式でないと、
経営が成り立たないでしょう。
数多くの社員を食べさせていくのには、
やむを得ない決断だったと思います。
もちろん、現場の記者や若い記者は、不満がたまるでしょう。
「これでは、中国のメディアと変わりない」と。
「いや、これでは、政府と原子力産業の癒着と同じだ」と。
いつか来た道 2011 5 7
日本は、戦前、どの報道機関も、戦争を賛美し、
結局、太平洋戦争へ突入していきました。
現代においても、似たようなことが起きています。
昨年(2010年)、菅首相が、唐突に消費税増税を言い出した時、
多くのメディアも、概ね「そうだ、消費税増税が必要である」という論調でした。
これは、極めて不自然でした。
まるで中国のように情報統制があるのではないかと疑わざるを得ないのです。
これほど多くのメディアがあるのです。
A紙は、財政再建のために、ぜひとも消費税増税が必要、
B紙は、さらに不景気になるから消費税増税反対、
C紙は、消費税増税よりも行政改革が必要であるなど、
いろいろな意見が出てくる方が、自然だと思います。
今後は、活発な議論を期待しています。
日本では、まともな議論もせず、
いつの間にか、その場の雰囲気で物事が決まってしまう場合が多いと思います。
しかし、これでは、戦前と同じです。